昭和天皇のお言葉の続きを。
「戦争の終結につきては機会を失せざる様(よう)充分考慮し居る
こととは思うが、人類平和の為にも徒(いたずら)に戦争の長びきて
惨害の拡大し行くは好ましからず」
(昭和17年2月12日、大東亜戦争開戦から僅か3ヵ月後には、既に
戦争の終結を探っておられた)
「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」
(昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾を巡る御前会議にて)
「敗戦にいたった戦争のいろいろの責任が追及されているが、責任は
すべて私にある」
(昭和20年9月27日、連合国最高司令官マッカーサーとの最初の会見で)
「戦陣に死し、職域に殉(じゅん)じ、また非命にたおれたものは、
挙げて数うべくもない」
(昭和27年5月2日、初めての全国戦没者追悼式)
「立憲君主であることが私の終生の考えの根本です」
(昭和54年8月29日、那須御用邸にて)
「適当な仕事をすることは苦痛ではなく、楽しみであり、健康にもよい」
(昭和56年4月29日、80歳のお誕生日を迎えられて)
「雑草という名前は、少し侮辱的な感じがして好まない」
(昭和59年8月31日、記者の質問に答えられて)
「いつの間にか、こうなった。大したことではない」
(昭和60年7月12日、84歳3ヵ月で記録の確かな歴代天皇の中で最長寿となられて)
「雨が続いているが、稲の方はどうか」
(昭和63年9月27日、癌に冒され死の床に伏されながら、この年の稲作の
出来を心配されて)
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